一ノ宮自邸 1974 (個人住宅リフォーム 東京都渋谷区)

【自分のための設計・リフォーム】

この設計は自分ための設計であり、しかも高校時代から両親と過ごした家だ。 このリフォームを通じて住宅設計の原点をつかんだ、と思っている。

 


Living Dining room

左:Kitchen キッチン、右:Family room ファミリールーム

【 リフォームと住宅を考える原点。】
 当時の日本はスクラップアンドビルドの時代で、住宅のリフォームは一般的ではなかった。
私はすべてを壊し、新築をするという傾向に疑問を持っており、この改装をを機会に、問題点の整理をする ことにした。

○リフォーム:なにを残し、何を変えるか。
  この住宅は父親が設計施工で建設した渋谷区で2番目の分譲住宅で、分譲にあたって内装なしのスケルト ンで販売する、という当時としては活気的なものだった。そのため内装は吟味した素材を用いることが可能 となり、築後15年経過していたが経年の劣化はほとんどなかった。
改装にあたって、残せるものは極力残し、自分のライフスタイルに合わせたデザインを加える手法をとった。

○平面計画:
職業がら来客が多いため、接客部分と家族部分に性格を分けた。間仕切は基本的にあまり変えず、内装仕 上げの変更で雰囲気を変えた。
○リビング、ダイニングルーム
 和室を撤去し大きな空間を確保した。既存の地袋、障子等は残し、壁天井を新しくした。
ここは接客の場にもなるため、土足可にした。この方法の採用で段差のないゆったりとした玄関が可能となり、20人以上の集まりでも玄関が靴であふれる状態を回避できた。

※我家は人の出入りが多く、家族以外の誰かがいることが多い。そのためフレキシブルに使う部屋が必要になる。長さ3mのテーブルはそのために設置した。津久井湖の神社の杉の木が台風で倒れた時、譲っていただいたもので、食事以外には妻の裁縫台や、私の工作台に使っている。
大きなテーブルがあると便利である。またこの杉板は塗装をしていないので、時々ブリーチをする。鉋がけすれば新品になる。

○キッチン
システムキッチンがない時代だったが、キッチンをリビング兼ワークスペースとして位置ずけた。
厨房機器だけでなく、洗濯乾燥機等、家事に関する装置をここに集約したため、家庭生活のの大半をここで過ごす。親しい友人はみなここに集まり、現代の茶の間になっている。

※このキッチンは妻の希望を全面的に採用した結果だが35年経過した今でも快適に使っている。私の設計した住宅は、施主の希望でこのキッチンをベースにした物が多い。

○ファミリールーム
息子がまだ小学校1年生と幼稚園だったため、散らかしても良い家族の部屋が必要だった。建物の中心にあった和室を利用することにした。ここは子供の成長に従い変化する場所なので、費用をかけずに、色彩 だけで雰囲気を変えた。書棚はダンボール製、家具は戦前からの籐家具でがまんした。
ここは居間夫婦の書斎になっている。

※爺婆になった今ここを元の姿に戻そうか、とも考えている。