【一ノ宮幸次邸1967 (個人住宅 東京都渋谷区東 )】

【処女作】

両親の二人ための住宅で、私の始めての作品である。
我家は戦後の混乱期のまま、家族だけでなく親戚を合わせて十数人が同居する大家族であった。
末子である私の結婚を期にすべてが独立することになり、両親は始めて二人だけの家を建てることにした。

基本構想

敷地は兄の住む敷地を分割したため、露地状になりあまり条件は良いとは言いがたいが、高台のため、3階の高さからの眺望は抜群で、渋谷の街越しに富士山を遠望できる。
そこで高齢者住宅としては無理をして3階を居住階とした。平面の自由さを確保するため、構造は鉄骨の門型のフレームに軽量コンクリートの床盤を差込む方式にした。
この方式により住空間には柱、梁がなくなり自由な空間設計が可能になった。

左:初期スケッチ(2Fは変更した)、右:屋波に浮かぶ

インテリアデザイン

父は建築家ではないが、東京美術学校で彫塑を専攻し、国会議事堂の石膏装飾の原形を製作した関係から、建築設計にも精通しており、戦後2回建てた家は父が設計した。
和風が好みで服も家では和服しか着ない。
従ってインテリアは和風になった。学校やアメリカでは当然現代建築を学んでいたため、和風建築の経験はなく父や棟梁、材木屋に相談しながらの設計だった。相談しながらも独自性はださねば意味がない。この設計での経験が私の和風建築の原点になり、いまでも続いている。

左:Living room 居間、右:Fireplace 暖炉

【酒と人と孫好き親父の庵】

なにしろ人をよんで酒を飲み、孫達とのが好きな親父で、この家はそのために建てた。
従って基本的にワンルーム、建具はすべて引込み式にして孫達が部屋中駆け回れる家にした。
空間構成も酒のみの男衆、話し好きな女衆が、お互いに存在を視認しつつも、独自の行動を取れるようにした。
この空間構成は後の別荘建築の原形になった。

階段は老夫婦の昇降の時の意識をまぎらわせるために、ギャラリー的空間にし、2階に玄関を設け一息つけるようにした。
階段巾を1.2Mとこの規模の住宅としては広くしたのも、階段を機能ではなく、部屋と考えたからだ。

手摺がないのは、緊張感を持ちたいというためである。 親父の見栄だったのかもしれない。

名称: 一宮幸次邸
用途: 個人住宅 新築
場所: 東京都渋谷区東
構造: 鉄骨1RC床盤造地上3階建
敷地面積: 256m2
延床面積: 250m2
施工: 大明建設株式会社